推定IQ70前後の「バカ」と呼ばれた母親

9月のお彼岸に母親が死んだ。母親が死んだのに正直ホッとして、悲しくて泣くことはなかった。母親らしい事は何もしてもらえず、幼い頃に母親に頼ること事を諦めた筆者。現在2人の子を持った筆者が母親に対して思った「やっぱりバカだったんだなぁ」というエピソードを綴っていきたいと思います。

これから人口血液透析を始める人へ:医療費控除などの制度のあれこれ

今まで散々私たち家族に迷惑かけてきたおとよさん。

最後、晩年に一つだけ良い事をしました。

それは「人工血液透析」をするようになったこと。

 

何故かというと慢性腎不全で人工血液透析をしていると、

それは国が指定する「特定疾病に係る高額医療費支給特例」による医療費の公的補助制度によって、毎月上限¥1万の負担でいいのです。薬代も申請すれば戻ってきます(やり方は自治体によって違います)。

毎月1万円以上支払わなくていいのです。

さらに透析患者は身体障害者1級となるので、自治体からのサポートも手厚く受けられます。

1級なので重度心身障害者医療費助成制度も利用できます。

これにより窓口で支払った医療費1万円が申請すれば戻ってきます(いくつか条件あります)

 

お金の負担がなくなりました。

 

たくさん調べて活用しましたので、経験談も踏まえ記す事で参考にしていただけたらと思います。

 

 

人工透析とは

 

(医療用語や機械の事など交えると難しくなってしまうので、おとよさんでも理解出来るくらいざっくり説明します)

 

糖尿病、高血圧、等のさまざまな病気により腎臓の働きが悪くなると慢性腎不全をいう状態になり、腎臓がほとんど働かなくなってしまいます。

この働かなくなった腎臓の代わりをしてくれるのが人工透析です。

 

では、腎臓が働かなくなると、どうなってしまうのか?

腎臓は色んな働きをします。

1番は「尿を作り出すこと」

尿は体の老廃物(毒素)を外に出してくれます。余分な水分も外に出してくれます。

腎臓が働かないということは、おしっこが作り出せないということ。

毒素も水分も体に溜まりっ放しです。

そして「尿毒症」という状態になります。

異常に気持ち悪い、吐く、怠い、酷くなると痙攣、意識もうろう、錯乱状態となってしまいます。

腎臓はその他にも、血圧を調整したり、血液を作ったりする働きもあるため、高血圧、貧血状態が顕著にでます。

 

貯まった毒素や水分を除去して血液を綺麗して体に戻す。

これが人工透析です。

 

透析の医療費

 

透析の医療費ってとても高額です。

血液透析は40万/月

腹膜透析は30~50万/月

(全腎協より引用)

健康保険を利用しても、3割負担だと毎月12万。1割負担でも毎月4万。

 

もし私が透析となって毎月12万の負担があったら、家族を犠牲にしてしまうことになります。

日々の生活が立ち行かなくなります。

食べることで精一杯で、娯楽なんで無理です。

子供に塾も通わせられない、大学なんで進学させてあげられなくなります。

 

年間480万~600万・・・。

この年収があればうちのような4人家族は生活出来ます・・・ね。

 

 

透析医療の公的補助制度

 

 

 「特定疾病に係る高額医療費支給特例」という医療費の公的補助制度

長期間にわたって継続しなければならず、著しく高額な医療費が必要となる疾病については自己負担限度額を通常より引き下げ。1万円(人工腎臓を実施している慢性腎不全の上位所得者は2万円)とするとこにより、医療費の負担の軽減を図る特例制度

 

この制度は、昔に透析患者が国に訴えかけて、勝ち取ったおかげだそうです。

本当に感謝します。

 

 

重度心身障害者医療費助成制度

この制度は障害がある方とその家族の経済的負担を軽減するため、医療機関を受診した場合の医療費の1部負担金を県と市町村で助成する制度

 

透析患者は身体障害者1級を取得できるので、この助成制度の対象となります。

 

つまり、特定疾病による高額医療費支給特例により、透析の医療費の負担が1万円となり、さらに重度心身障害者医療費助成制度によって医療費の1万円も申請すれば戻ってくるのです。

 

これらの制度がなければ、今頃、うちは皆共倒れになっていました。

(*自治体によって異なるので詳細はお住いの自治体でご確認お願いします。)

 

 

医療費補助制度の申請の仕方

 

おとよさんが透析になるとなった段階ですぐに市役所の年金課へいき、「特定疾病認定申込書」をもらってきました。

・うちは国民健康保険だったので市役所へ行きました。自治体によっては申込書をダウンロードできることろもあります。

国保以外の方は、加入している健康保険組合に問い合わせてください。

必要書類(加入している保険組合に確認してください)

・申請書(医師の意見欄もあり)

・印鑑

・保険証

マイナンバーカード(当時はなかったです)

(申請当時おとよさんは入院中だったので、本人確認書類として住民票も用意しました。)

 

市役所で身体障害者の申請も出来ることを教えてもらい、福祉課に行って「身体障害者申請書」「身体障害者診断意見書」も貰ってきました。

必要書類(住んでいる自治体に確認ください)

・申請書

・診断意見書

・写真(入院中だったので、外出してとった記憶があります)

・印鑑

 

身体障害者1級だと窓口で負担分の医療費も申請すれば戻ってきます。

この制度により、自己負担¥1万も戻ってきます。

実質¥0円です。

支払った医療費の領収書を持って市役所に申請に行くという手間はかかります。

食事作ったり、掃除したりの自分の身の回りの世話はしないくせに・・・。

こういう時だけ、タクシー券使って行ってました。

(*うちの自治体では身体障害者1級だとタクシー券がもらえました。)

 

 

書類の用意で市役所へ行き、

必要書類の記入してもらうため病院へ行き、

医師の記入をお願いしに行きました。

おとよさんに書類を書かせたり(本人記入項目もあり)

証明写真を撮りに行き(身体障害者手帳の顔写真です)

あちこち言って忙しかった記憶しかありません。

仕事しながらで大変だったけど、

透析すれば体が楽になって動けるようになるのかな?とか、

しんどくなくなるのかな?とか、

お金で困ることがへるのかな?

等と思い、おとよさんのためだから頑張った記憶があります。

 

 

おとよさんは透析になって苦痛だったと思います。

週3回通って、透析するために太い針を刺して、数時間拘束され・・・。

おとよさんの場合、食事管理も出来てなくて、また長年の糖尿病のため血管はボロボロで透析すると血圧が乱高下して、体力的にも大変だったようです。

透析の日は帰ってくると動けなくて寝込んでいたそうです。

 

 体調面では顔色は良くなりましたが・・・。

管理が上手に出来なかったので透析したからといってあまりよくはなかったようです。

お金の面では負担がなくなったので、家計は助かりました。

おとよさんは体を張って家族に迷惑かけないようしてくれたのでしょうか。

 

 

透析前の医療費負担

 

透析の前は糖尿病の治療や検査で何万もかかっていました。

糖尿病の薬もいい薬や新薬がでてきているようで・・。

お高いお金を払っていました。

入院になれば10万単位で請求され・・。

毎月「金がない」の電話があり、送金していました。

お金が次々持っていかれました。

お金がかかる割に、薬の管理や食事管理なんておとよさんに出来るわけでもなく…。

病気は進行していくばかり…。

そして59才にして透析患者となったのです。

自己管理の出来ないおとよさんは病気になり、管理もできず、病気を酷くさせて、透析患者となり…。

もう、これって家族からお金だけむしり取り、しまいには医療費搾取まで…。

とも思います。

実際、ここの医療費控除に対しての法的見直しを検討しているとかないとか…。(この件については私も思うことがあるので、別の記事にして記したいと思います)

 

 

透析後の医療費負担

 

透析患者となったおとよさんは

通院透析にしても、入院透析にしても、医療費負担なくなったのです。食事代やおむつ代等の金額だけの支払いのみ。通院しているときは手続きは自身で行いますが、入院すると病院側がしてくれるので、こちらは毎月3万程の入院費を支払うだけでいいのです。

(「特定疾病療養費」「重度心身障害者医療費助成制度」を病院側で手続きしてくれて、それを差し引いた状態での入院費の請求)

申請に行く労力もなくなりました。

 

この金額だと、おとよさんの年金でぎりぎり支払えるくらいだったので、私たちの持ち出しはなかったです。

 

 

考察

 

 

 これらの制度は透析治療に係った者として、本当に助かったし、ありがたかったです。

 一家共倒れにならずに済みました。

本当に感謝します。

 

これが少し前の時代で、今の医療の進歩がなければ、おとよさんは透析を始めた10年前に60歳を迎えずに死んでいたでしょう。

10年長生きできました。

透析のお陰で孫を抱くことも出来ました。

本当ならとっくに死んでいたおとよさん。

医療技術の進歩、医療費の補助・・・。

健康保険を収めている国民・・・。

 

いろんな方々のおかげで10年長らえさせてもらったこと・・・。

おとよさん分かってたかなぁ?

 

おとよさんのような自己管理の出来なくて透析になってしまった人は、なるべく透析にならないように努力しないといけないですね。

病気や事故で透析となっても、おとよさんのような辛い透析生活ではなく、快適な透析ライフを送るためにも、自己管理は必要です。

病院、医師のなすがままではなくて、

自分の病気、透析の知識を身につけて、食事や健康により気を使って生活して欲しいです。

 

 

 

新盆の迎え方:おとよさん初めての新盆

おとよさんが死んで初めての新盆。

やることがたくさんあります。

 

新盆(初盆)とは

故人が亡くなって四十九日を過ぎた後、初めて迎えるお盆の事。

通常のお盆より丁寧に行われます。

・初めてのお盆なので迷わないように白い提灯を玄関かお仏壇に飾る

・親戚や親交の深かった人を招いて法要を執り行う

・僧侶を招いて読経してもらう

など。

地域によって違いはありますが、手厚く行うのは全国統一のようです。

 

通常のお盆とは

先祖の霊が帰ってくると言われ、自宅でお供えや提灯を置いてお迎えし、お墓参りなどをして供養します。

うちの地域ではお仏壇をナスやキュウリのお飾りで飾り、家紋の入った提灯で「迎え火」「送り火」し、僧侶にお経をあげてもらいます。

 

 

うちは新盆を執り行うので、今から準備しないといけません。

 

おとよさん生前は人望も何もなく、むしろたくさんの人に迷惑、不快な思いをさせてきたので、親交の深い人なんていません。

厄介者を押し付けられた状態で、親戚にも見放されていたので。

法要したところで呼ぶ人がいないので、しません。

 

迷わないように目印としての白提灯。

おとよさん、わからなくて迷ってブチ切れてる姿が目に浮かぶので、これは用意しましょう。

 

付き合いで来ていただける親戚の方も(父方ですが。)いらっしゃるので、お供えやお仏前のお返しもいくつか用意しないといけません。

 

そして何よりも、僧侶に払う「お布施」

¥20万だそうです。

 

トータルでいくらになるのか???

来週葬儀屋さんと打ち合わせがあるので、色々聞いてきます。

 

 

今まで散々人に迷惑かけてきたおとよさん。

最後、晩年に一つだけ良い事をしました。

それは「人工透析」をするようになったこと。

 

何故かというと慢性腎不全で人工血液透析をしていると、

それは国が指定する「特定疾病」となり医療費の補助がおりて、毎月上限¥1万の負担でいいのです。薬代も申請すれば戻ってきます(自治体によって違います)。

毎月1万円以上支払わなくていいのです。

身体障害者1級になるので、自治体からのサポートも手厚く受けられます。

おとよさんはタクシー券を大活用していました。

スーパーに買い物行くのも、1日何度も使っていたそうです・・・。

地元タクシー運転手はおとよさんを知らない人はいませんでした。

 

おとよさんとタクシーに乗った時にタクシー運転手に

「あなた娘さん?」と聞かれ、色々教えてもらいました。

こういうところですよね・・・。

一緒にいたくなくなります。

 

透析の前は糖尿病の治療や検査で何万もかかっていました。

入院になれば10万単位で請求され・・。

お金が次々持っていかれました。

入院してしまえば、医療費負担なく、食事代やおむつ代等の金額だけの支払いのみ。通院しているときは手続きは自身で行いますが、入院すると病院側がしてくれるので、こちらは毎月3万程の入院費を支払うだけでいいのです。

この金額だと、おとよさんの年金でぎりぎり支払えるくらいだったので、私たちの持ち出しはなかったです。

 

晩年は終身で入院して私たちの介護負担がなくなり、お金も自分で何とかしたので・・・。

最後はおとよさん迷惑かけなかったねと話しています。

 

入院費もいずれ介護度が増えれば増えるかもしれないので、私たち3兄弟はお金に余裕のある時におとよさんの口座に入金していました。

おとよさんが死んだときに口座を確認したら

60万円程貯まっていました。

このお金でお葬式、お坊さんへのお布施が払えました。

 

残りのお金で無事新盆、一周忌、足りるか?

 

新盆の話が、お金の話なってしまった・・・・。

 

おとよさん、迷わないで来れるようにするからね。

でもそれ以外は節約しますからね!!!

 

打ち合わせの時にどれだけケチれるか?

知識つけて葬儀屋の言いなりにはならないぞ!!!

 

 

パンツの取り合い

雨続きの毎日。

洗濯物が乾かなくて困ります。

梅雨の時期コインランドリーが大盛況ですね。

コインランドリーに行こうか迷っていたら、ふと思い出してしまいました。

 

私と妹のことですが・・・。

もう30年以上前の事です。

それぞれパンツ2枚程しか持っていなかったので。

天候によっては洗濯物が乾いてなくて、履くものがなくて、よくパンツの取り合いをしていました。

取り合いに負けると乾いてない濡れたパンツを履くか、同じものを履くかです。

まともな子供はもう、必死です。

お風呂の前に1枚のパンツを隠したりとか・・・。

今となっては笑い話ですが・・・。

 

自分の子供にはそれぞれ10枚くらいあります。

だって、子供に2枚だっけって!!!

考えられません。

ほんと、おとよさん!!!!です。

 

子供の下着なんてそんな高いものじゃないのに。

お金だってなかったわけじゃなかったのに・・・。

下着を子供に多めに用意するという考えがなかったのでしょう。

自分のことで精一杯な知能しかないですから・・・。

 

うちは何でも2枚でした。

洋服も靴下もパンツも全て2枚。

子供の頃は体も大きくなるので毎年服を買います。

私と妹は年子で体格が同じくらいだったので妹が私のおさがりを着ることはあまりなかったです。

で、その時に買うのが2枚のみ。それでワンシーズンいきます。

交互に着るので、ワンシーズン終わると、色も褪せてボロボロです。

これが普通と思っていたので、パンツの取り合いもしょうがないと思っていました。

2枚しかないから取り合いになるとは考えませんでした。

小学校高学年頃は服が2枚しかないと思われているのが嫌で、

でもその頃は家が貧乏だと思っていたので、洋服を買ってほしいとは言えませんでした。

 

この「2枚」という感覚は大人になってからもそうで、下着はしばらくは2.3枚の所有で生活していました。

さすがに洋服はお洒落にも目覚めたので、自分で稼ぐようになってからは服、バック、靴などはたくさん買いました。

子供の頃にお洒落出来なかったから、反動ですかね。

好きなものが買えて着れるのはとっても楽しかったです。

 

毎日身に付けるもの(下着、ヒートテック、靴下など)は7枚所有するというのは、私も妹も最近覚えました。

7枚あれば忙しくて洗濯出来なった時とか雨の時とかに困らないと。

それぞれ結婚し、配偶者を見て、もしくは言われ、「そうなんだぁ」と知った次第です。

 

で、下着にしてもタオルにしても、1年程使用したら交換するようですが・・・。

これが常識なのか普通なのかはわかりませんが、そういう人もいるようですが・・・。

ここはまだ、私はできなくて・・・。

1年じゃまだまだ使えるって思いが強くて・・・。

タオルもペラッペラになるまで使用。

下着も穴があくまで使用。

します。

 

貧乏性なのか?

育ちが悪いのか?

 

あっ、育ちは良くないですね。

お育ちの良い方々は下着の取り合いはしないですよね。

 

ちなににおとよさん。

下着に無頓着でした。

穴が空いていて、洗濯しずぎで薄くペラペラになっているボロボロの下着をしているイメージしかありません。

自分が関心がないから、子供にも関心がいかなかったのでしょうね。

今なら何枚でも買ってあげられるのに・・・。

死んじゃったから買ってあげられない。

親は健康で長生きしてもらいたいです。

 

おとよさんが普通のお母さんだったら、まだ健康で元気でいたのかな?

お財布泥棒

おとよさんのことです。

私、犯人が誰か知っていました。

でも、自分の母親だったから誰にも言えませんでした。

今、初めて言います。

 

 

私が中学生の頃の話です。

教会で外国人の牧師が英語を教えてるところが近所にありました。

どうしてそこ通うようになったのかは記憶があいまいなのですが・・・。

おそらく、友達が通っていて、私から通いたいと言ったのだと思います。

親が通わせたということはまずないです。

 

いつも授業の合間におやつを出してくれて、それが楽しみでした。

うちはおとよさんがこんなんなので、おやつというものはありませんでした。

お腹空いたというと「米食え」と返されるだけ。

*代々続く農家なので田畑はたくさんあり、お米は売るほどありました。

 

なので、コーラとチョコパイとか、炭酸のジュースにお菓子なんて、うちにはないもので、滅多に食べないものでした。

初めはコーラが飲めなくて、頑張って飲んだのを覚えています。

 

ある時、いつもおやつを出してくれる奥さんが困った顔をして、牧師の御主人と話をしていました。

内容はお財布を落としてしまったと・・・。

お金はそんなに入ってないが身分証明書が入っていたと・・・。

それはそれは気を落としていました。

 

今なら、身分証明書を落としたらその後の手続きなどとても大変と分かりますが、

当時はそこまでよくわかっていなかったのもあって、

落としちゃったんだぁ、かわいそうにくらいしか思わなかったです。

 

で、そのことはそれ以上深く考えずに正に他人事として私の中で処理されていました。

 

 

しばらくして、私が保険証を使いたくて、大切なものが入っている引き出しを開けようとしたら、その時に限っておとよさんは引き出しを開けるのを拒みました。

「そこは開けるんじゃねーよ」と。

なんで?

と思いましたが、保険証が必要なのを説明して出してもらいました。

 

いつもは大丈夫なのに、なんでダメなのか?

気になってしまい、おとよさんがいない時にコッソリ引き出しを開けました。

 

 

 

・・・・・・・っ?

見知らぬお財布・・・???

 

この時点で嫌な予感がしました。

そう言えばお財布なくしたって人がいたっけ?

お財布をあけ、中を見ました。

お金は入っていませんでした。

その代わり身分証明書が入っていました。

確認してみると、奥さんの顔写真付きの身分証明書。

 

…やっぱり。

 

おとよさん

落ちてるお財布拾って持って帰ってきちゃったんだ……。

恐らく、お金目当て。

お金はネコババして、お菓子とかアイスクリーム買って食べたんだ。

 

お財布を拾って、お金をネコババして、買い食いしている姿が容易に想像出来ました。

おとよさんならやりそうだなと。

 

おとよさんにとって、身分証明書は必要ないです。

これで悪いことする能力もないし。

何故?

保管していたか?

今となっては理由なんてわかりませんが。

ネコババしたものの、お金以外はどうしたら良いのか?

わからなかったのでしょうね。

 

 

お財布泥棒と被害者

 

どちらも知っている人

 

中学生という思春期の多感な時期

 

恥ずかしい

惨め

申し訳ない

一言では言い表せない複雑な心境です。

 

そして、犯人を知っているのに黙っている。

これを誰にも言えない。

結果、犯人の片棒を持つ。

泥棒の娘に成り下がった。

 

私の自尊心下がりっぱなし。

 

いつも自身のない私。

いつも、知っているのに、出来るのに、分からない振りしてる。

行動に起こすためには

「自身持って」

と言い聞かせないといけない。

 

子供の頃の環境って、

人格形成するのに、やっぱり大切。

これでも、時間をかけて克服してきたけど。

強靱な精神力を得たのと引き換えに失った物というか私の闇は大きかったです。

 

母親の匂い

スーパーで誰かとすれ違った時に
「あっ、おとよさんの匂いだ」
と、懐かしく、
そして、不快に思いました😓


私の前に親子が通ったのですが、
30代位の娘さんの方が
明らかに何日もお風呂に入ってないだろう状態だったのです。
髪の毛はギットリとしたwet状態。
何よりも臭う。
汗臭いというか?体臭というか?
でも酸っぱい感じの臭さではない、臭い。

この匂い
私にとったら、母親の匂いなんです。

お風呂が嫌いで、いつ入っていたのか?
おとよさんがお風呂に入っている記憶はあまりありません。
小さい頃はおばあちゃんとお風呂に入っていました。
その後は自分一人でお風呂に入っている記憶のみ。
おとよさん
お風呂に入ってなかったのでしょうね。



先月の母の日に娘が幼稚園の参観で「お母さん」という歌を歌ってくれました。

お母さん♪
なあに♪
お母さんって良い匂い♪
洗濯していた匂いでしょ♪
シャボンの泡の匂いでしょ♪

お母さん♪
なあに♪
お母さんって良い匂い♪
お料理していた匂いでしょ♪
卵焼きの匂いでしょ♪


幼い娘が大きな声で一生懸命歌っている姿は可愛らしく、目尻が下がりっぱなしでした。

そんな私の母親は汗臭い匂い…。
複雑です…。

当時の私はそんなおとよさんの汗臭い、匂い。
イヤではなかったです。

…今は

不快な匂いです…。

シチュー

おとよさんのシチュー
家庭の味は、昔からある顆粒のルーのやつ。

私も子供たちにシチューを作ります。
子供は大好きです。
顆粒ではないタイプのルーを使ったり
小麦粉とバターと牛乳で手作りで作ったり
しますが、やはり、私は顆粒タイプのルーで育ったので、これの使用が多いです。

いつも思ってたけど、何度作ってもおとよさんの味にはなりません。

今日息子達のリクエストで急遽シチューを作ったのですが、牛乳を切らしていて、牛乳なしで作りました。

そしたら、なんと、まぁ。

おとよさんの味になりました。

牛乳入れないで作ってたんですね。

懐かしさのある味でしたが、
味が尖ってるというか?
まろやかさがないというか?
物足りない味でした。


牛乳入れるって、
知らなかったんでしょうね!

あの頃はこれが、美味しいと思っていましたが。

確かにあの頃、テレビのCMのシチューやお友達の家で食べたシチューは白い色でした。
家のシチューはカボチャを入れてる訳じゃないのにやや黄色味がかった色のシチュー。
他所のは何で白いのかな?と思っていましたが…。
牛乳なしだったってことなんですね!


久しぶりに食べた懐かしさのある味。
おとよさんの味のシチューはやはり、美味しかったです。
家庭の味って、味覚って子供の頃に決まるのですかね?
だとしたら、私、子供達に作るご飯は変な物あげられないですね!

確かに外食は未だに味が濃くって全部食べられません。
きっと、薄味のシンプルな料理で育ったのでしょうね!
醤油だけとかね!

「バカ」に育てられたらどうなるか?

今日はおとよさんのことではなく、私の事を書いてみようと思います。


世間一般的にみると
見た目も内面も、可も無く不可も無く。
目立つタイプでもないし。
ホントに普通。
この歳になると、小、中、高の学生時代の事って忘れている事が殆どで。
相当仲の良い友人なら覚えているけど、ただのクラスメイト位だと、今町中で偶然会ったら判る自身はない。
写真見たり、誰かと話して話題になったりしないと顔と名前が一致しなかったり…。

なので、私は忘れられていて、顔と名前が一致しないタイプの方。

地元に残っていればまだ交流があったりして、記憶がなくなることもないかもしれないけど、
地元から出てしまった私は記憶をなくされているタイプ。

存在感が薄いと言うことですね。


存在感が薄いというのはこれは昔の話に限った事ではなく、今現在でもそう。

今までに何度か転職していますが、それぞれで出来た仕事仲間
最近は二人の子供のそれぞれのママ友付き合い


ママ友付き合いはまだ始まったばかりなのでこれからも続いていくかはわかりませんが。

仕事仲間からの友人はグループ交際なんです。
これポイント。
この中の人と個人的に誰かと二人で出かけるとか連絡取り合うとかはしてないんです。


私が友人と思っているのは実は二人だけで、この二人は何でも話せる信頼している友人。

・一人は専門学校からの友人でもう20年以上の付き合いで、二人で海外旅行にも行く仲。

・もう一人は細かいことを余り気にしない人で暗黒の闇を持つ私の心にすっと入り込んで来た人。
気が付いたら仲良くなっていました。



私この二人以外
仲良くしてるけど、友達と思ってないんですよね!
ランチ会に行って、それなりに話もして盛り上がっていても、友達とは思ってないんですよね!
その場しのぎの楽しさを楽しんでいるだけ。
当たり障りのない会話をして、周りに合わせた返しをして。


仕事仲間のグループ交際は連絡があれば出かけていきますが、連絡が来なくなれば、私からする事はないので、自然消滅するでしょう。
もしくは私だけ省かれているか?

そんな状況なので、ママ友付き合いは子供の成長と共になくなっていくでしょうね!
実際、長男の保育園のグループでは、私は誰ひとり仲良くなることはなく、卒園と共に終わりました。



何でなのか?
仲良くしたいと思っていても出来ないんです。
嫌われたくないから?
自分から誘ったり出来ないんです。
でも、好かれていないならそれでいいし、
仲良くなることにそこまで執着しているわけでもない。
一人とか孤独が嫌なわけでもない。



やはり幼少期の
(母親に頼る事を諦め、自分で何とかするようになった)に行き着き
(バカの娘として蔑まれてきた)にたどり着くんですよね。


そもそも幼少期に人に頼らずに自分で何とかする術を身に付けたので、友人に頼る、相談するなんてウザいだけ。
一人でやった方が効率がいいので、必要ない。

常に周りにからバカにされ、蔑まれて、もしくは哀れまれる視線を向けられてきたので、ある程度は人の感情が読み取れるようになりました。
もしくは、少し話をすれば、人となりが判るようになりました。

40数年前の人生経験とプラス幼少期からの差別を受けた経験。
普通の人では経験しない斜めからの視点で人となりを見ます。

どんな人が良くて、どんな人が駄目なのか、上手く説明出来ないんですが。
私の中でほとんどの人が駄目な人です。

バカでも
人に迷惑かけても
嫌な事されても
受け入れてくれる人っていないですから。

でも稀にいるんです。
受け入れてくれる人って。

私の経験上
2つのタイプがいました。
一つ目根っからのいい人。
本当にいい人で色んな事を気にしない人。
そう言い人は裕福で余裕がある人が多い気がする。

2つ目状況を正確に理解し受け入れてくれる人。
だからダメな事はダメと本人に言います。
でも嫌じゃない言い方。
そして最後までとことん責任をもって対応してくれます。



本当にいい人を知ってるから
大概の人はダメなんです。
心を開けないんです。

一番信用出来るのは自分だけ。
これにつきます。

人見知りだから
人が信用出来ない
人が怖い
内向的な性格だから
とかじゃないんです。

世の中
根っからの悪い人ってあまりいないけど、
根っからのいい人もあまりいない。

ズルイ人ばっかり。
ズルイ人達の反応や考えに合わせて
どうしたらいいのか?
どう行動したらいいのか?
結果、私は要領よく、無難に世渡り出来るようになりました。
どの集団に属しても、自己主張をせず、大人しく周りに合わせて行動。
だから、可も無く不可も無く。
これが自分がいちばん楽でいられます。
嫌ならしれーっとフェードアウトすればいいし。
本音と建て前使いまくってます。


おとよさんって本音と建て前を使い分けられない真っ直ぐな人。
まっ、バカって事。

幼少期から差別を受け、人の本質が見えてしまう環境だったので簡単には人を信用することはありません。
でも、社会に出ても、困難は感じませんでした。
むしろ、話が通じる人ってこんなにいるんだぁ。
会話ってこんなに弾むものなんだぁ。
これって普通の事なんだぁ。
と感じ、おとよさんの娘でなく、一人の人間として見てくれるから、
差別、「あの視線」を私に向ける人なんで誰もいなくて、心地良くてしょうがなかったです。
楽しくて楽しくて。

職場で人間関係に悩む人って多いと思いますが、
私はおとよさんを見て育っているので、人を嫌に思う基準が低いです。
なので、大概の事は気にならなっかったので、よく同僚から羨ましがられました。


~~~結論~~~
心に大きな闇はもっているが、、
常識がわからなくて苦労はしたが、
それは、社会に出た時に何事にも動じない「強靭なメンタル」という武器を手に入れたということに気が付いた。
この「強靭なメンタル」おとよさんに育てられたからこそ培ってこられたのだと。

苦労したし、子供の私、頑張ったねと、良くやったねと褒めてあげたい。
だって、私、自分の子供にこんな苦労させてあげられないから・・・。
どんな形であれ、子供を思う気持ちがあれば、何とかなるんですかね?
おとよさんの子供で良かったとは正直思えませんが、
おとよさんに育てられたことで、社会での適応能力は優秀な方かと思います。

これに関してはおとよさんに感謝しています。

しかし、一つだけ・・。

人を嫌に思う基準が低い、ハードルが低いので、結構人から好かれること(男女問わず)が多いのですが・・・。
変な人からも好かれてしまうという・・・。
発達障害などのコミュニケーション障害があっても、会話にならないのがおとよさんで慣れているので、
話を合わせる、察して、先を読んで話をするなんでお手の物。
なので職場で皆から嫌われてる人に好かれてて、休憩時間にその嫌われ者のお相手係になったりなんてざらで・・。
私も相手にするのが面倒だから休憩時間をずらしたりしても、相手もずらしてきて逃れられないとか・・・。
この面は職場の同僚にも羨望の眼差し(もはやネタですか・・・。)を向けられてます。

そして、今流行???の発達障害ADHDアスペルガーを併せ持つコミュニケーション障害の人と結婚して、主人そっくりの息子を産んで、また、苦労をしています。

話の通じない人から私は逃れられないですね。
一生苦労するのでしょうか?

ちなみに主人は私のダメな人を見分けるセンサーには引っかからなかったです。
母と会っても軽蔑する視線なんて向けず、むしろ「いいお母さんじゃん」と。
主人の御両親もあの視線を向けず、普通に接してくれる。
人の文句を言って、簡単に人を睨み付けるおとよさんもすぐに気に入りました。
後でわかった事ですが、障害の特性故のことで、ただ単に人に関心がないだけでした。


ここはなかったなぁ。
見分けられなかったなぁ。