推定IQ70前後の「バカ」と呼ばれた母親

9月のお彼岸に母親が死んだ。母親が死んだのに正直ホッとして、悲しくて泣くことはなかった。母親らしい事は何もしてもらえず、幼い頃に母親に頼ること事を諦めた筆者。現在2人の子を持った筆者が母親に対して思った「やっぱりバカだったんだなぁ」というエピソードを綴っていきたいと思います。

子供を虐待している母親の行く末・・・

おとよさんが亡くなって1年半が経った。

「まだ1年半しか経ってないんだぁ~」が正直な感想。

もっと経過しているものと思っていた。

何年も・・・。

ホントに1年半しか経過していない???何度もスケジュール帳をみて確認した。

 

夜中に”おとよさん危篤”の連絡をうけて病院に駆け付けたあの日からまだ1年半・・・。

母親の死に涙することもなく、生前の母親を思って涙することもなく。

葬儀が終わり元の生活に戻った途端に、いつもの仕事と子育てに追われる毎日に、

それは一つの大きな仕事を終え、達成感に満たされ、次の仕事に取り組むかのような切り替わり様で。

あっさりしたものだった。

そして1年半の間、母親のことを思い悲しむという事は全くなく・・・。

完全に母親の死を受け入れ消化している・・・。

 

私の中でおとよさんはずいぶん前からいない存在になっていたというのか?

おとよさんの”死”を望んでいたのか?

 

綺麗ごとなんて言わない。

その通り!!!

私は子供の頃からおとよさんをいない存在にしていた。

おとよさんの存在を無くすために、自分自身に虚勢をはり偽って生きてきた。

otoyosan.hatenablog.com

おとよさんが亡くなった事により私の中の偽りの人生が終了したのだ。

解放感しかない。

悲しみや喪失感なんでものは全くない。

 

 私は私のまま、自由に生きていいのだ

 

 

おとよさんが亡くなって・・・・・。

母親が亡くなって・・・・。

母親からの目に見えない支配から解放され・・・。

楽になった。

 

これに尽きる。

 

きっと普通の母親から愛されている人には私の「母親の死によって得られた解放感」は理解できないだろう。

 

今自分の子供を何かしらの方法で(暴力、暴言、放置、無関心・・・)虐待しているお母さん。

今は体力もあるし、経済的にも自分で何とかできるでしょう。

周りにも友人や仲間もいるでしょう。

でもいずれ身体的にも経済的にも弱者になるときがきます。

他人は所詮他人。

無償で助けてくれる人なんていません。

 

あなたの行く末は孤独・・・

そしてあなた亡き後の・・・

誰も思ってもくれない。

自分の家族さえも・・・。

 

 

私はおとよさんのことをこのブログに綴ることで追悼しているのか?

思い出してるし・・・。

およとさんはまだにはなってないか?

 

無にならないで済んだのは、おとよさんが子供への愛情は持っていたから・・・。

ただバカだっただけ。

 

 

毎年ではなかったけど、何度か思い出したかのようにたまに飾ってくれたなぁ。

きっちり毎年ではないところがおとよさんらしい。