推定IQ70前後の「バカ」と呼ばれた母親

9月のお彼岸に母親が死んだ。母親が死んだのに正直ホッとして、悲しくて泣くことはなかった。母親らしい事は何もしてもらえず、幼い頃に母親に頼ること事を諦めた筆者。現在2人の子を持った筆者が母親に対して思った「やっぱりバカだったんだなぁ」というエピソードを綴っていきたいと思います。

結婚式で様子のおかしい人。

おとよさんのことなんですけど。

私の結婚式。
父には黒のモーニング。
母には黒のお着物。
私のウエディングドレスと一緒にレンタルしました。

馬子にも衣装で 
お着物も着付けして貰って、お化粧も髪もセットしてもらい、おとよさんもそれなりになりました。
それなり……。
実年齢は50代後半だけど、とてもその歳には見えない。
老けて見える……。
シワシワのおばあさんが着物来ている状態。
プラス品がない。
けれど、それなりになりました。
プロはさすがですね。
後は身に付ける物で多少は何とかなるのですね!


上機嫌なおとよさん。


座ってじっとしてれば良かったのに……。


私はもちろん主役なので、おとよさんばかりに気は取られず。
実際はおとよさんどころではなかったので、分からなかったのですが。
後日、ビデオを見て唖然としたのを覚えています。
母親の居ないところで私がどんなに取り繕っても、母親を一目見てしまえばどうにもならないんだと痛感しました。


新郎新婦がメインで何かしている後ろ方で
会場全体を撮っている時に
友人のテーブルを撮っている時に
主人の職場の同僚のコメントを撮っている後方で

色んな所で映り込んでいます。


首をキョロキョロ動かして

山から人間の住む世界に下りてきてしまった
サルのような挙動不審ばりのキョロキョロ。
しかもニヤニヤして。

1度気になったら
凄い目が離せなくなる動き。
しかも、どこにでも映り込んでいる。
なぜそんなに出没してる?
そりゃー娘の晴れ舞台だから嬉しいでしょうね。
笑顔になりますよね!
でもおとよさんの品のなさでニヤニヤしているようにしか見えません。
知能が低いからしょうが無い。


何でおとよさんはフラフラしていたのか?
兄弟に聞いてみました。
結婚式に来て頂いたゲストにお酌をしていたと。
で、主人の会社の人におとよさん好みのイケメンがいて、やたらとお酌をしていたと。


……。



確かに兄弟には招待してる側なので途中でお酌に行けと言ってました。
父とおとよさんには何もするなと。
兄弟にも変な事しないように見張ってろと(特におとよさんを)
言いました。

おとよさんは兄弟達がお酌に回っている時に勝手にお酌に回ってしまったそうです。



何度も言いますが、招待してる側なのでお酌に回ったのでしょう。
普通の母親はそうです。
で娘がお世話になってますとか
よろしくお願いします。とか言って挨拶回りをします。

おとよさん。
お酌しないと、とは思ったのでしょうね!
でも作法は知らない。
「どうぞ」
とだけ言ってお酌してたそうです。
おそらくはビールをどうぞという事。
イケメンには
「まぁまぁ😍飲んで😍」
とお酌(ホステスか💢)
振り返ったらシワシワのおばあさんがニヤニヤしていたらびっくりしますよね。
で社交辞令でイケメンがご結婚おめでとうございますと言えば更にニヤニヤ。

……。


普通は新婦の母です、今後ともよろしくお願いします。位は言うものですが、そんな事言うなんて知らないしわからないし…。
私の友人や職場の人にもそう。


誰も止められず
ご機嫌のおとよさんは最後まで無作法でお酌してたそうです。


だから、色んな所で映り込んでいたのですね…。

しかしその様は本当に様子のおかしい人。


そもそも顔がブスとは違う特異な顔立ち。
知能が低いから?
目つき
鼻の形
口元
も、と言うか全体的に変だから。
それに行動もおかしかったら
そりゃー様子のおかしい人になりますよね。

この記事を書いていて思い出しました。
おとよさん、50代後半にしてほとんど歯がなくなっていて、で本人も恥ずかしいのか?笑うときは手で口を押さえて笑っていたのですが。
さすがに結婚式に歯がない母親は私が恥ずかしいので、お金を渡して総入れ歯を作らせたのを思い出しました。
自分の結婚式に母親の身なりを気にしないといけないって…。
悲しくなります。

未だに私の友人や当時の職場の人から母の事は聞きません。
私が思うに誰しもがおかしいと思ったと思います。
でも私の前では言いません。
私も言わないので触れられなかったのだと。
私の居ないところでは話題に上ったかもしれないです。



物心付いた頃から母親の事はことあるごとに嘘をついてきてましたが、
地元の人には完全にバレてましたね!
私って痛々しい人でしたね!
でも、あの頃の私は母親の事をあっけらかんと言えず、ギャグにするなんて事も出来ず。
受け止められなかったので。
嘘をつく事が私の精一杯でした。



未だに思います。
普通のお母さんだったら私の人生違ってたのかなぁと。



顔立ちや見た目はどうしようもないにしても、行動は気を付ければどうにかなるし、所作で美人に見えたりもしますからね!

後に分かったことですが、おとよさんは水頭症と良性の脳腫瘍があり(いつからあったのかは不明)それが脳をかなり圧迫していました。
よくバカな人の事(頭がピーマン)とか言ってましたよね!
もう死語かもしれないですが…。
CT写真で正常な人と比べて見せて貰いましたが、脳みそが小さくて、空洞があって、まさに頭がピーマン状態でした。

で先生曰く
この状態だと視野が狭くなっているので、全体を見ようとして、鳥の様に首をキョロキョロ動かしてませんかと。

…。

繋がりました。

おとよさんの様子のおかしい行動。
これって病気だったんだ。

バカとか知能低いとかもあるけど
病気のせいでもあったのかと。

普通
母親が脳腫瘍と水頭症とか言われたら、家族としては一大事だし、心配になりますよね?

でもうちの場合
妙に納得できて、点と点が線になって、すっと頭に入ってきて。
安心したのでした。
 
おとよさんの場合、おそらくは以前からあって、脳腫瘍のせいで今まで生活に支障をきたしている事は無く、生活出来ているので、手術の適応ではないと。
生活に支障きたしてない???
ここは疑問ですが、
何より本人が困ってないのでこのままで経過観察となりました。



今はこんな事がお安く手軽に身近にレンタルできるのですね。
今の時代におとよさんが子育てしてたら・・・。
おとよさんこういうの利用できてたのかな?

娘に切り捨てられた母親

私は

母親の存在を受け入れられずに「迷い」

そして切り捨てる「決断」をしました。

 

切り捨てた結果、心が軽くなり、去年母親が死んだ今、常に心の片隅にあった重苦しいもやが、完全に晴れてすっきりしました。

 

 

母親は地元では「バカ」で名が通っていて有名だった。

今私が思うにIQは70前後程しかなかったのではないかと思う。

何にも出来なかったので。

(詳細は過去記事を読んで下さい。)

 

 

私がおとよさんを切り捨てたのは35歳の時。

はっきりと覚えている。

私が第1子を出産し母親になった時に・・・。

(もうおとよさんのことを心配して考えてお金や身の回りの世話を焼くのは一切しない、何とかなる、父と母でやってもらおう)

と。

文章にしてしまえば数行のことだが、これを決断するのに35年の月日が必要だった。

単におとよさんよりも大切な、私が守っていかなくてはならない息子という存在が出現したからだが・・・。

35年頑張ったのに、結構あっさり捨てられました。

 

 

私がまだ独身で働き始めたばかりの頃

ある日突然電話で

「理由は聞かないで、30万、いや20万でいい、お金送ってくれる?」

と連絡してきた。

切羽詰まったおとよさんの声に、私は心配になり、言いつけ通りに何も聞かず

貯金から30万おろして送金した。20万でも良かったのも知れないが、貯金があったし、なによりもおとよさんが心配で30万にしたのだ。

 

後で知ったことだが、電子ミシンを月賦で購入したものの支払いをしなくて督促状がきたと。

それで私にお金の用意をお願いしたと。

おとよさんは不器用でミシンで何か作るなんて出来ないので、

「ミシンで何作ったの」と聞くと

「色々だよ・・・」と。何故か上の空で答えている。

当時同居していた兄弟に聞いてみたら、

「あー、ミシンあるね、使ったの見たことないよ」と・・・。

埃を被った新品同様のミシンが部屋の片隅に置いたままで・・・。

おそらくは、ただのミーハーか誰かの口車に乗せられて購入したのでしょうね。

支払い当てもないのにね。

 

・・・当時の私はそう思っていました・・・。

 

 

「このミシン」は今、私の手元にあります。

何度か引っ越ししてますが、持ってきています。

おとよさんとは違って、割と手先の器用な私は裁縫は好きで、

さいころから手縫いで学校で必要な体操着袋とか縫っていました。

というか、おとよさんやってくれないので、いや、やってもらったことはありますが、波縫いの幅が大きすぎて縫い目が穴だらけに見えるという、とんでもないものを作ったことがあって。

それから自分でやるようになりました。

子供だった私は布が売っていることを知らないので、着なくなった服を裁断して作っていました。

リメイクというやつですね!

 

「このミシン」は今現在でも大活躍してます。

私の二人の子供の幼稚園グッズ、小学校グッズを手作りして。

布は子供たちと選んだ生地を買ってきました。

幸せ極まりないですよね。

30万というとてもお高いミシンですが、元は取れてたと思います。

 

でも「このミシン」もらう時にひと悶着ありました。

「どうせ使ってないんだから、私貰うよ」と言ってもらってきたのですが、

この期に及んでおとよさんは「使うから駄目だよ」と言ってきたのです。

でも使ってないし、おそらく使い方がわからないし(ボビンのふた?のところが折れてなくなっていたので、やり方が分からなくて壊したのだと思われます)

何よりもお金は私が払ったんだからと、言ってもらってきたのですが・・・。

のちに兄弟から「勝手にミシンを持って行った、泥棒猫だ」と

何かにつけ私の文句を言っていたそうです。

お金の事は棚に上げて、もう済んだことだから、ミシンはおとよさんの所有物っていう認識しかなくて、それを私がもって行ったから、怒り狂ったんですね。

 

 

こんなことがずっと繰り返されている人生。

まともな感覚でいられません。

私はこんな事が日常で育ちました。

 

知り合いに合ったら睨み付けてるおとよさん

いくら嫌いな人でも、本音と建て前を使って挨拶するくらいなんてことないのに・・。

おとよさんと一緒にいるのは恥ずかしい。

こんな人が母親だと思われたくない。

でも母親。

心配で気になる。

私がいないとおとよさんはどうなってしまうのか?

そんな複雑な感情の繰り返し。

 

常識とか普通の感覚は友人や大人になってからは職場の人など周りの人から教わりました。

見て真似したり

教えてもらったり

注意されたり

叱られたり

 

恥ずかしい思いをしたりすること多かったなぁと思います。

でも今は上手く軌道修正されて普通のまともな感覚の人間になっていると思います。

 

 

こんなおとよさんだけど、不器用なりに子供のことは一番に考えてくれていました。

 

「このミシン」。

 

手縫いで体操着袋が作れなかったからミシンなら出来ると思ったんだそう。

ミシンがないから子供に不憫な思いをさせたのだと。

でも当時は電子ミシンは高級品で手が出せなかったと。

ずっとほしいと思ってたそうだ。

月日がたち子供たちが成長した頃にミシンが月賦で買えると知り、月賦なら何とかなると思い購入したのだと。

 

なんか……。

自分本位の思考だけど……。

長年の付き合いだから、おとよさんの気持ちがわかる……。

これはおとよさんなりの愛情だと。



死ぬ前の年に入院先の病院にお見舞いに行ったときに

あのミシンで子供たちに色んなもの作ってるんだよと伝えた時、

案の定「泥棒猫」と言われましたが

当時絶対に言わなかったミシンを購入した理由を教えてくれました。

おとよさんも子供に作ってあげたい気持ちはあったんですね。

でも作れなくて、困ってたんですね。

 


そういえば、冬になると毛糸で(唯一出来るカギ網で)編み物していて

「マフラー作ってやる」

っていってたのを思い出しました。

完成したのを一度も見たことはないですが。

何でなのか?15センチくらい編んでは解いてをずーっと繰り返していました。

編んでは解きを繰り返す、

この光景毎年繰り返していて、

今でもたまに兄弟で集まった時は「あれなんだったんだろうね?」と話題になります。

 きっとこれも、おとよさんの子供を思う気持ちからでた行動で、でも完成させられない。

気持ちはあるけど、出来なかったんだと思います。


入院中も体調が良い時はベッドの上で編み物をしていたそうです。

看護師さんが何を作っているのか聞いたときに

「孫にマフラー編んでやってるんだ」と言っていたそうです。

 おとよさんの孫は私の子供しかいないので私の子供のマフラー……。



おとよさんは夜中に眠るように死んだので、家族全員がおとよさんの死に目には会えませんでした。

駆けつけたのですが間に合いませんでした。

せめてもの気持ちで

おとよさんの最後はどうだったのか?

看護師さんに聞きました。

苦しまず、眠るように息をひきっとった事、と編み物の話を聞きました。

荷物の整理をしてるときに編みかけの編み物がありました。

もちろん、未完成です。

完成させられなかったですね。

こういう所はぶれないですね。



おとよさんのことで恥ずかしい嫌な思いはたくさんしてきたけど、

子供の事を思う気持ちは、どの母親とも同様に持っていたから・・・。

だから私にとっておとよさんは常に心配な存在だったのだと思います。

 

そして、私は自分が子供を産んだらあっさりおとよさんを切り捨てる。

もしかしたら、「切り捨てさせてくれた」のかも・・・。

切り捨てるようにしむけてくれたのかも・・。

そんな風に感じてしまうこともあります。

いつまでも私がおとよさんを気にしないように。

自分の家族だけに愛情をかけられるように。

・・・おとよさんなりの愛情。

 

 

 

私が子供を産んだ途端に電話魔だったおとよさんは電話をしてこなくなりました。

お金のせびりは私以外の兄弟にしていたそうです。

・・・ おとよさんなりの愛情。

でもおとよさんはおとよさん。

こういうことろはぶれないですね。

 

 

貧乏?

うちは貧乏だと思っていた
いつからそう思っていたのか?
記憶を辿ると
年長児の5歳

には貧乏だと思っていた。

otoyosan.hatenablog.com

前回の記事

にも書いてあるが、うちは資産家で父は大手企業の工場で働いていたので、高収入だったのだ。



小学校へ入学するので家族で学習机を買いに近所のホームセンターに行った。

ベージュカラーのサンリオのキャラクターの学習マットのある女の子らしいデザインの学習机



こんな感じ。
本当はこれが欲しかった。
でも少しお高かった。

隣のガンダムのキャラクターの学習マットがあるダークブラウンの学習机のほうが安かった。


こんな感じ。
値段は安いけど、おそらく男の子用。


机売り場の周りを何度も何度もグルグル回って、行ったり来たりして、考えた。



こんな高い机を買ったらうちのお金がなくなる、かわいそう。
お父さん、おとよさん、下の兄弟にヒモジイ思いをさせてしまう。

何で男の子用を選んだのかと聞かれたら・・・。
大人になってからも使えるように大人っぽいのにしたと言おう!!


5歳の私はこんな言い訳まで考えて・・・。
安いほうを選んだ。


今思えば、18歳で家をでたので大人になってからは使っていない。
田舎の農家の家なので、壁は砂壁だし、現代のきれいなおしゃれな家もないし、かわいらしい机でなくてもよかった。
気に入って買ったものではなかったけど、すぐに気にならなくなった。

結果、安いもので良かったと思う。




ランドセルを買った時もそう。
革の素材のランドセルのほうが本当は欲しかった。
でも高かった。
だからクラリーノのランドセルを選んだ。
安かったから・・・。

今はクラリーノ素材のランドセルが主流ですよね!
軽いし丈夫だし型崩れしにくいし。

今思えば、私が選んだクラリーノのランドセル。
時代を先読みしてますね。


当時は半数以上が革素材のランドセルで、高学年になるとみんな潰れてぺったんこになっていましたよね。
そんな中私のランドセルは高学年にっても綺麗なままでした。
みんなのが潰れているから上に乗っかって潰そうとしてましたけど、潰れませんでした・・・。

ママ友とランドセルの話になった時に
「今のランドセルは丈夫で6年間使っても綺麗なんだよ~」と。

心の中で、
30年前もクラリーノのランドセルは丈夫だったし・・・。
あなたはご両親に革素材のいいランドセルを買ってもらっただね・・・。
と・・・。
毒づいてしまいました・・・。


今も革素材のものはありますけど、防水加工やら、なんやらでさらにお高くなっていて、10万超えでした。


わが子に購入したランドセル。
今のランドセルはとってもお高いです。
約7万もします。

主人のご両親が購入してくれました。


そういえば、おとよさんも元気な頃は言っていました。
「ランドセル買ってやるからな」と。

お金もってないのにどうやって買うんだろうといつも思っていました。
大人になった私は「お願いしますね」と返事だけしておきます。
どうせ買えないのは知ってるから。

いつもそう。
学校で必要なものは絶対に用意してくれない。
「明日買って来てやる!」
と言って絶対に買ってこない。
何で買って来ないのか聞いても
「金がない!」
「忘れた!」
「知らねーよ!」
となる。


おとよさんに言っても埒が明かない・・・。

先生に注意される・・・のは私。
周りから白い目で見られる・・・のは私。

結果
お爺さんのお財布からお金を盗んで自分で買いにいくようになりました。
小学1年って、こんなことも出来るんですね。



話が脱線してしましましたが、
こんな事されていたら、うちは貧乏だと思いますよね。

大人になってから聞いた話だと、
父はおとよさんに生活費として毎月10万円渡していたそうです。

えええっそんなにもらっていたの?
が正直な感想です。
私、主人からそんなに貰えません。
というかないです・・・。
10万円生活費であまりません。
なので、私も働いています。

田舎なんで米、野菜は買う必要はありません。
食費は肉、魚くらい。
あとは生活用品・・・。
贅沢すればきりがありませんが・・・。



これも後から聞いた話ですが・・・。
10万円生活費を貰っていると聞いたおとよさんの従姉妹に金づるにされていたようです。
もちろん、おとよさんは金づるにされているとは思っていません。
日中に車で迎えに来てくれて食事にいったり、買い物に行ったりしたそうです。
支払いはおとよさん。
送り迎えでいろんなところに連れて行ってくれるので喜んで出かけて行ったそうです。
お金もたくさんあるので、あるだけ使ってしまったそうです。

それを誰かから聞いた父は生活費を5万円にへらしたそうです。

おとよさんはよく「金がない」と口にしていました。
(あっても使ってしまうのにね・・。)

おとよさんは身なりも気にするタイプではないので(知能か低いからそこまで気が回らないだけですが)
いつもみすぼらしい恰好をしていて、同じ服を何日も着たり・・・。
お風呂もあまり入らす、匂っていても気にしませんでした。


そんなおとよさんを見て育ち、周りと比較し、自然と
うちは貧乏

と思ったのでしょうね。


子供もために身なりは気にしましょう
(無理くりすいません)



地元ではバカで有名だった

あのバカ、資産家の家に嫁に行ったんだってよ!!!!!



これは私がオトナになって、最近知りました。




父との結婚はお見合い結婚。

父親は娘の私が言うのもなんだか、
大人しい、冴えない、気の利かない、チビでハゲてるパッとしない人間。
資産があって、大手企業で働いているというだけ。

資産家と言っても、田舎の土地持ちというだけで・・・。
先祖代々受け継がれてきた土地を持っているというだけ。


何度も言うが父親は本当に大層な人間ではないのだ。
しいて言うなら祖父が地元の名手的な存在で、近所や地域の人から慕われていたそうですが・・・。

条件はいいのでお見合いの話はいくつもあったそうです。
しかし・・・。

お見合い相手との食事で割り勘とか・・・。
話がくそつまらないとか・・・。
色々とどうしようもない事実が発覚していき・・・。

そんな資産家の息子である父は、あまりにも冴えなさずぎて
何度もお見合いに失敗し・・・。
あれやこれやと大層な事を言う立場ではないのを感じ。
自分の身の程を感じ取ったのか?
誰でもいいから嫁に来てくれといった状態。

かたや、
おとよさんは地元ではバカで有名だったので、貰ってさえくれれば御の字。


そうして訳ありの両者がお見合いという形で出会い・・・・。
お互いに手の内を見せず、結婚することに成功したのでした・・・。



田舎はコミュ二ティが狭いですが。

この件は叔母(父親の妹)から聞きました。
おとなしい父とは真逆の社交的でテキパキした仕事をバリバリしていた方です。

昔に友人4人と話していたときに、
地元でバカで有名な人がいて、そのバカが最近結婚したという話になったそうです。
そしてそのバカは資産家の家に嫁いだと。
皆、バカなのに~?、どうして~?と盛り上がっていたそうです。
叔母はまさか自分の実家のこととは思わず、一緒になって盛り上がっていたそうです。
そして一人の友人が叔母の家の事と気が付き、話題を出した友人に叔母に気づかれないように話を辞めさせたそうです。


もう地獄絵図ですよね。
皆気まずい。
人の悪口を言っているのは良くないですが、女子トークですからね。
それを除けば、この中に悪い人は誰もいないですよね。

叔母は気づかれないように話を辞めさせた友人の行動で「自分の実家の話なんだ」と気が付いたそうです。
叔母は恥ずかしいのと、みっともないのとでとても嫌な気持ちになったそうです。

そして、なんであんな人、嫁に貰ったのだと祖母に言いにいったそうです。
祖母も気が付いていたようで「あいつは何にもできない」と。
掃除も洗濯も料理もできなかったそうです。
教えても出来なくて、無理にやらせようにも雑だったそうです。
それならばと
家に主婦が二人いてもしょうがないので近所の工場に頼んで働かせたが、3日で首になったと。
理由は何も覚えられないから。
離婚も考えたそうです。

でも子供を三人産んで、この子達を片親にするのはかわいそうだから我慢していると。
確かに私はおばあちゃん子だった。
おとよさんは子供を産むだけ産んで、育てたのは祖母だったのだ。


祖母は自分の子供を4人育て上げ、最後まで行き遅れていた父を結婚させ嫁を貰い、隠居生活の老後を送ろうとしたのに、
今度は孫3人を育て、家事全般をこなす。
ようやく来た嫁はバカで話が通じない。


ストレスは尋常ではなかったと思います。


そんな祖母は私が小さい頃に胃がんでなくなりました。
ストレスは万病の元ですね。

小学校の入学式

この4月私の子供が小学校へ入学して、入学式をしました。
私は母親として、子供用スーツ、黒の靴下、黒のスニーカーを用意し、入学式に備えました。

そして、今までの保育園生活から小学生になるといいうことに私自身も楽しみと不安と心配と、でドキドキしていました。



これって母親として普通ですよね?
これって過保護じゃないですよね?




私自身の小学校の入学式。

前回の記事にもありますが、家には誰かに貰ったお古の段ボールが押し入れにあります。
その中に紫色のベロア素材のワンピースがあって、
それを引っ張りだして、着ていきました。

ランドセルを買って貰い、入学式が楽しみでしょうがなくて。
何度もワンピースを着て、ランドセルを背負って、入学式を心待ちにしていた。



おとよさんが洋服や靴を選んで用意してくれたのではない
自分で用意している。


記憶が曖昧だか、入学式はあれを着ていこう!
と思っていたのは覚えている。
このワンピースは七五三の時に着ていたもので、誰かに貰ったものだった。


それにしても、当時の私を褒めてあげたいと思う。



入学式は正装していく

なんて当時の私は知らない。

ただ、楽しみにしている入学式にとびっきりのオシャレをしたくて
家にある唯一のワンピースを選んだのだから。



結果、

他の子供達が正装している中、私が浮くことはなかった。



小学校1年生って、こんなに一人でできるのか?

と、自分の子供を見ていて思う。 
私があれやこれや手を出しすぎなのか?
もっとほったらかしても良いのか?
実は母親にしてもらっていて、私の記憶が抜けているだけなのか?




……違う。

私の下の兄弟は入学式にジャージを着せられてますから。
しかも、その子はわたしたちよりもしっかりしている子なのですが、自分で正装の服を選んで来ていたそうです。それなのに着替えさせられたと。



私の時に入学式は経験しているのに、どんなものかしっているのに。

何故ジャージ?


未だに根に持っていて、たまに思い出しては怒っています。
よっぽど、恥ずかしい、みっともない思いをしたのだと思います。



消えてくれるなら、消えてほしい過去の思い出。

よく、冗談で嫌な思い出を黒歴史と言う人いますよね!
本当に嫌な思い出って、口に出すことも出来ません。



やっぱり……。
記憶が曖昧なんじゃなくて、事実で、小学校1年生って、結構できるってことですね!



バカな親でも子供は育つ
子供は苦労したほうが逞しく育つ




私、逞しく育ちました。

私は自分の子供に苦労をかけさせてあげられない。
ですね!


今の時代ならネットでポチっとでお買い物できて
しかも昔(30年前か・・。)より安く買えますよね。
こんな感じの襟が白で素材はベロアのワンピース。
入学式大丈夫ですよね?

お母さんにも嬉しい!
奮発してお高いドレス買ってもいざ着るとなったら体形が変化していて着れないないなんてことはあるあるですよね。
今の時代こんな便利なものが手軽にお安く利用できるのですね。

遠足のお弁当が作れない

遠足と言えばお弁当。

クラスの皆と教室を出て学校ではない違うところへいくのも楽しくてワクワクしますが、みんなで食べるお弁当も楽しいですよね。

 

遠足は楽しみだったけど、お昼のお弁当の時間は苦痛でした。

 

 

 

小学一年生の初めての遠足

初めてのお弁当

 

とっても楽しみにしていました。

 

前の日にお弁当のおかずを母親と近所の商店に買いに行き、

私がリクエストしたミートボール(今もあるあの有名な暖めるだけのやつ)を買ってもらい、明日の遠足が楽しみでウキウキしていました。

 

 

そして遠足の日

 

(うちにはに誰かから貰ったお古の洋服が入った段ボールが押し入れにあって、

そこから自分の着るものとか使うものを探して選んでいた)

 

そこから、紐で口をすぼめるタイプの、背負うところが紐の青いリュックサックを引っ張っり出してきて、お弁当を入れてウキウキで出発した。

 

 

 

 

そしてお楽しみのお弁当。

 

お弁当箱に敷き詰められたご飯の上に10個のミートボール。

いつもは10個入りのミートボールを兄弟3人で分けるから3個しかたべられないのに、10個も入ってる。

おとよさん、今日は遠足だから10個も入れてくれたんだと。

嬉しい気持ちでウキウキで食べようとしたら…。

他の子はどんなお弁当なのか気にしつつ食べようとしたら…。

 

 

 

私のお弁当を見た周りの子達や担任の先生が、

私のことをかわいそうな目で見ている。

 

 

…えっ…。

 

何?

何で?

 

…あっ

…他の子のお弁当…

…きれい

 

綺麗な形の卵焼き

ウインナーはタコさんになってる

色んな種類のおかずかがきれいに並べられてる

 

 

私のお弁当…

茶色…。

偏ってるから半分は空洞だし…。

なんか汚い…。

残飯みたい……。

 

 

 

…そして

先生を始め他の子も自分のお弁当のおかずを一品ずつ私に分けてくれました。

 

 

 

このお弁当って、恥ずかしいんだ…。

 

 

……帰ってきて

 

おとよさんに言いました。

「他の子のお弁当、卵焼きとか入ってておかずいっぱい入っててきれいだったよ。私のは何でミートボールだけだったの?」

 

……そんなのしらねーよっ…。

 

「次はちゃんとしたお弁当つくってね」

 

……分かったよ…。

 

 

 

 

 

次の遠足か何かのお弁当の時

前回の事があったので、何度も確認してちゃんとしたお弁当を作るよう言いました。

 

そしてお昼のお弁当の時間

恐る恐るお弁当の蓋をあけると……。

 

 

敷き詰められたご飯の上に小さく切ったハンバーグが並べられていました。

もちろんハンバーグは手作りではなくて暖めるだけの有名なミートボールのハンバーグバージョンの奴です。

 

 

またか……。

……あんなに言ったのに。

……。

……。

 

 

 

どうして?

何でわかってくれないんだろう?

 

 

家にかえってからおとよさんを怒りました。

何でちゃんとしたお弁当つくってくれないの?と。

 

……しらねーよっ

……よそはよそだ

……うるせーよっ

 

泣いて怒りました。

分かってくれません。

話になりません。

 

 

小学一年生でおとよさんには言ってもわからないと悟りました。

 

 

 

次から、おとよさんに頼むのは辞めようと思いました。

お弁当は自分で作りました。

 

低学年だから

他所のお母さんの用に綺麗には作れていなかったと思います。

 

でもおとよさんよりは彩りのあるましなお弁当だったと思います。

 

 

美味しそうなきれいなお弁当ではなかったと思います。

卵焼きとウインナーと野菜の入った彩りのあるお弁当。

かわいそうな目を向けられないお弁当。

 

頑張って作り、母親が作ってくれたことにして持っていきました。

 

 

今私にはちょうど小学一年生の子がいる。

 

こんな幼いのにお弁当で恥ずかしい思いをさせた。

子供が嫌だったといってきたのに

その気持ちを受け止めず、知らないと言い放った。

低学年から自分でお弁当を作らせる。

 

 

こんなこと絶対させないし、

もしお弁当が気にくわないと言われれば、頑張って作るようにする。

 

普通は誰しもそうすると思う。

 

 

でも、おとよさんの場合

 

作らない

しない

やらない

 

は意地悪でしたのではない。

自分の子供が憎くてしたんじゃない。

 

おとよさんなりの愛情は感じていた。

私の好きなもの入れてくれたから。

 

 

 

今なら分かる

 

出来なかったんだと思う

出来ないから、しないし、

子供がどういう気持ちかなんか考えて行動するなんて出来ないから。

そこまで考える能力がない。

わからないから

「しらねーよっ」

なんだと思う。

 

おとよさんはおとよさんなりに一生懸命やっていた。

だから

「ネグレクト」

とは少し違うのかな?

 

わからないから。

 

 

 

芸術センスのない私ですが

キャラ弁なんてほんとっ無理、作れませんが

娘の幼稚園のお弁当頑張って作ってます。

今は便利な世の中でいろんなグッズが売っています。

 

帰ってくると

「お弁当おいしかったよ、全部食べたよ」と言って、空っぽになったお弁当を見せてくれます。

こんな可愛い事してくれたら、センスなくても頑張りますよね。

 

ホントおとよさんって・・・。

 

 

母親はなぜIQ70なのか?

子供心にばかだなぁと感じていた。

大人になり、2人の子を持つ母親になり、色々な経験ををしてたどり着いたのは

 

おとよさんは知能が低い

 

 

よく耳にする毒親

 

男関係がだらしない

男の処に行って帰ってこない、ご飯作らない、世話をしない

子供を所有物のようして言いなりにさせる

暴力を振るう

貧乏で着るもの食べることがままならない

自分のことばかり、ネグレクト

 

 

どれも違う

しいて言うなら「ネグレクト」

何度も言うが

おとよさんは知能が低い

これに尽きる。




ちなみに私は普通です。

大学は経済的な理由とお金に困らないように手に職をつけたくて、

資格を取りたかったので選択肢にはなかったが、

授業料のかからない公立の専門学校へ進学し、有資格者となり、仕事をおこなっています。


自分でいうのもなんだか、空気を読み仕事をすることができて、

友人もいて、お互い相談したり、でかけたり、楽しく過ごすことができている。


そして家族の話になると

私の親に対して、皆口を揃えて言うのは

「ちゃんとした親御さんにそだてられたんでしょう」

と。




全然違うのに…。








私はプライドが高いわけではない。


ただ家族の事

特に母親のことになると


恥ずかしい


と言う気持ちしか感じず。


隠す

秘密にする

嘘をつく


ということを子供の頃からしてきていた。


母親の事は

私が作り上げた理想の母親像

を皆に言っていた。


母親の事に関しては平気で嘘をつけた。




理想の母親像を伝えることが私の精一杯の虚勢だったのだ。


物心ついた頃から今まで私が嘘をつき続けた結果、

私自身も

育ちがいい人

を作り上げていたんですね。





いたって普通の私の母親はバカだったんです。


今初めて言いました。


私育ちは良くないです。


地元では

バカの子供として

さげすまれていました。


人から哀れな目で見られいたこと

大人になってからわかりました。


あの顔って

あの目つきって

人を蔑んでるときとか、軽蔑してるときとか、馬鹿にしてるときにするんだ

と。